函館・元町。重要伝統的建造物群保存地区の頂に佇む、国指定重要文化財「旧相馬家住宅」。一世紀を超えて守られてきたこの日本の宝を、現代のラグジュアリーな滞在へと翻訳した、わずか三室のヘリテージホテルです。
百余年の時を刻む和洋折衷の建築美
函館市伝統的建造物群保存地区の西部にある「国指定重要文化財 旧相馬家住宅」は、北海道屈指の豪商であり、郷土報恩の精神から函館の礎を築いた初代 相馬哲平の私邸でした。
建物全体に良質な建材を使い、職人の技術と意匠・創意工夫が光る和風建築を基調としつつ、繊細な彫刻や豪華な家具がきらめく洋室との見事な調和は、今もなお、訪れる客人の心を惹きつけます。
旧相馬家 Kazeno Heritageは、重要文化財の蔵、重要文化財を守ってきた家守の家を3室からなるホテルとして保存・再生し、地域の文化の「つなぎ手」たちと出会う体験を提供します。
滞在を通じて自身もつなぎ手として地域の伝統・文化を残すサイクルに関与する、函館の伝統と文化を紡ぐ「つなぎ手」となるホテルです。

函館湾を一望できる立地
旧相馬家住宅が立地する函館市元町、特に基坂(もといざか)周辺は、歴史的・文化的・景観的に極めて高い価値を持つエリアです。
このエリアは「函館市元町末広町伝統的建造物群保存地区」として選定されており、北海道で唯一の国の重要伝統的建造物群保存地区です。幕末の開港から明治期にかけて急速に発展した街並みが今なお残り、外国の領事館や教会などの歴史的建造物が集積しています。
基坂は、かつての函館の行政・地理の中心地です。明治時代に里数測定の基点となる「里程元標」が立てられたことが名前の由来となっており、まさに地理的な拠点でした。また、基坂を上がった高台には、幕末に箱館奉行所が置かれ、明治期以降も開拓使函館支庁や函館県庁などが置かれるなど、長らく函館の行政の中枢として機能していました。旧相馬家住宅は、旧イギリス領事館の上方、旧函館区公会堂の下方に位置し、元町公園に隣接するという、歴史的建築物の中心的な場所に立地しています。
函館山へと続く傾斜地を活かした立地は、景観面でも非常に高く評価されています。函館湾を一望できる高台にあり、港を望むその素晴らしい景観は、住宅が重要文化財に指定される際にも「港町函館の町並みを引き立てる」要素として評価されました。
このエリア一帯には、初代・相馬哲平が私財を投じて建設を支えた公共施設が点在しており、地域への多大な貢献の歴史が刻まれています。旧函館区公会堂は、1907年の大火で焼失した町会所の代わりに、相馬哲平が多額の寄付を行って建設された、このエリアを代表する優美な洋館です。また、基坂の上り口にあるモスグリーンの洋館は、今なお相馬株式会社の社屋として使用されている歴史的建造物です。その他にも、近隣には彼が土地を寄付した旧区役所跡地や、寄進した函館八幡宮、高龍寺などがあり、エリア全体が相馬哲平の功績を伝える文化的遺産となっています。

重要文化財 旧相馬家住宅の歴史的背景
旧相馬家住宅は、北海道函館市の元町に位置する、函館屈指の豪商であった初代・相馬哲平の私邸として建てられた歴史的建造物です。
その歴史的背景には、函館の開港、度重なる大火からの復興、そして地域社会への貢献という文脈が深く関わっています。


初代・相馬哲平と函館の発展
初代・相馬哲平は1833年に越後国(現・新潟県)に生まれ、28歳(1861年)の時に開港間もない箱館(函館)へ渡りました。当初は雇われの身でしたが、わずか3年で米穀商として独立しました。
1868年の箱館戦争に際し、市民が避難する中で全財産を投じて米を買い集めるという命懸けの勝負に出て、戦後の米価高騰により巨万の富を築きました。その後、ニシン漁への投資や金融業へ転身し、北海道随一の豪商となりました。
彼は「郷土報恩」の精神を重んじ、旧函館区公会堂や市立函館図書館、神社仏閣など多くの公共施設に多額の寄付を行い、函館の発展の礎を築いた人物です。
大火からの復興と建築の背景
旧相馬家住宅は、1907年(明治40年)に発生した1万戸以上を焼失させる大火によって、それまでの自宅が土蔵を残して全焼したことを受けて建設されました。
1908年(明治41年)に建設が始まり、1911年(明治44年)にかけて完成しました。この建設には、大火で焼け出された人々の雇用創出と生活支援という目的も兼ねており、復興のシンボル「希望の星」として建てられました。
1854年の日米和親条約による箱館開港以降、函館では和風と洋風が融合した「和洋折衷」のスタイルがスタンダードとなりました。本住宅も、内外ともに精巧な彫刻が施された和風建築を基調としつつ、洋間の応接室を併設するなど、当時の函館らしい洗練された意匠を持っています。
1921年(大正10年)の再びの大火では一部損傷したものの、建物自体は助かりました。現在も2階の資料室などには、木が自らを火から守った痕跡や、焼けただれた梁が保存されています。
保存と重要文化財への道のり
相馬家の直系子孫が2008年(平成20年)まで居住していましたが、その後老朽化により取り壊しの危機に直面しました。2009年、函館出身の市民(現オーナーの東出伸司氏)が「函館の大恩人の屋敷を残したい」という想いから私財を投じて購入し、大規模な修復と保存を行いました。
2010年に一般公開が開始され、2018年(平成30年)には、その歴史的価値と優れた意匠が認められ、主屋と土蔵が国の重要文化財に指定されました。旧相馬家住宅は現在、函館湾を一望できる高台に建ち、当時の豪商の暮らしや函館商人の魂を伝える貴重な文化遺産として大切に保存されています。
職人技と贅を尽くした建築
旧相馬家住宅は、函館の開港という歴史的背景を反映した「和洋折衷」のスタイルが最大の特徴であり、内外装の至るところに当時の一流の職人技と贅を尽くした装飾が施されています。
全体としては重厚な和風建築で格式高い「起り(むくり)屋根」(凸状に湾曲した屋根)を持つ切妻造の玄関があり、随所に「おさ欄間」や断面がくさび形の障子の桟など、凝った造りが見られます。建物の一部にグリーンのペンキ塗りの洋室が配置されており、ここが意匠的に最も高く評価されています。

洋間(応接室)の豪華な装飾
外国人や要人をもてなすために造られたこの部屋は、当時の最高峰の洋風意匠が集約されています。外壁は千草色の下見板張で、窓額縁や柱、軒下には濃密で繊細な植物の彫刻が施されています。
室内は漆喰塗りで、美しいモールディング(縁取り)が巡らされています。特に天井中央には、一般家庭には見られないほど巨大なアカンサスの葉をモチーフとした円形の中心飾りがあります。
大理石製のヴィクトリアン・スタイルの暖炉があり、足元には美しいモザイクタイルや象嵌タイルが張られています。床はミズナラの寄木張です。
廊下に続く板扉の引き手には、当時西洋で流行していた、紫外線を当てると蛍光緑色に光るウランガラスが使用されています。また、この扉は洋風でありながら、和風の廊下とも調和するよう引き戸になっています。

和室(主座敷)と伝統美の粋
建材には、屋久杉の一枚板や、ヒノキ、黒檀(こくたん)、紫檀(したん)、欅(けやき)といった一級の良材がふんだんに使われています。
主座敷には鳳凰の透かし彫りが施された欄間や、季節の植物を円形に彫り込んだ黒漆塗りの筬(おさ)欄間など、卓越した職人技が見られます。
部屋ごとにデザインが異なる七宝焼の引き手や、折鶴・雁・松・楓などの形をした釘隠しなど、細部まで小粋で雅な装飾が散りばめられています。

文化財と客室の関係
一般公開エリアである国指定重要文化財の主屋をフロントとし、重要文化財の蔵、重要文化財を守ってきた家守の家を3室の客室としました。
滞在の醍醐味は、函館の真髄に触れること。一般公開が幕を閉じると、そこは宿泊者だけが独占できるプライベートな空間へと姿を変えます。百余年の時を刻む和洋折衷の建築美と、窓に広がる函館湾の輝き。それらを私庭のように愛でる、至福のひとときがここにはあります。
旧オーナーが所有していた函館の歴史や文化を感じる屏風や額装、花入などを室内の随所に展示し、職人の技術と意匠が詰まったヘリテージに囲まれた歴史を感じる空間に仕上げました。
詳しく知る
函館の真髄に触れる特別な体験
古き伝統を引き継ぎながら、新しい文化を紡ぎ出す。
かつて北前船交易で栄え、開港の歴史が異国文化をもたらした港町、函館。このまちには、今もなお、歴史や文化を大切に守りながら、未来を見据えて新しい価値を創造する「つなぎ手」たちがいます。
そんな人々や建造物との「つながり」を楽しむ特別な時間をご用意しました。彼らの哲学や建築美に触れ、技に驚き、情熱に心動かされる。
普段の観光では辿り着けない、本物の函館へ。
